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世を去り、のこされたツンペやポールマンをはじめ
とする弟子たち ( なんと、聖書の中のように、
「12弟子」と呼ばれたそうです。
師匠も弟子も、大物揃いだったんですね‥‥ )
の多くは、とうとう苦しい選択をしました。
ドイツ国内での製作をあきらめて、イギリスなど
よその国へ移住していったのです
(ツンペのように、後で帰国した人たちもいます)。
そうして今度は、他の国でも、ピアノ造りが盛ん
になっていきました。
当時のイギリスは、市民革命の後、ちょうど
産業革命を迎えるところで、「世界の工場」、
「日の沈まぬ大帝国」 となるべく、ものすごい
勢いで発展中でした。
大都会に住み、珍しい物好きのロンドンっ子
たちは、新しい楽器を大歓迎しました。
そうして、イギリスでも、ポータブルで経済的な
「 スクエアピアノ 」や、「 突き上げ式 」のシングル
アクションなど、たくさんの重要な発明がなされて
ゆきます。
この、「イギリス式アクション」 は、手ごたえの
あるタッチと、重厚感のある音が特徴でした。
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スクエアピアノ 1820年頃 イギリス
シーボルトの愛蔵品

次の世紀、
わが国に初めてピアノを伝えた
ドイツ人医師 シーボルト
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