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ピアノはヨーロッパで生まれ育った楽器です


(4) 太陽王と革命とサロン・コンサート

 さてその昔、フランスは
ヨーロッパ諸国あこがれの国でした
 (‥‥今でも?)。

それは各国が、それぞれの宮廷での公用語
( 外交用語 ) をフランス語に決めたほど。

社交界のマナー、料理のメニュー、ファッション
から風俗全般、「右へならえ!」状態でした。

‥‥ちょっとびっくり‥‥?。

こんなフランスへのこだわりと礼賛は、なぜ
おきたのでしょうか。


 ガルニエ
 「芸術の守護者ルイ 14世」


 漁夫の利?
ご存知のように、中世から近代へいたるヨーロッパ
の歴史は嵐のようです。


その中で、

イスラムとの中継貿易で栄えたイタリア
インド航路を発見したポルトガル
新大陸を発見したスペイン
「東インド会社」を作ったオランダ
七つの海を制覇し、産業革命にも成功したイギリス

と、時代の中心もめまぐるしく変わっていきます。


しかし、こうして列強が、互いにしのぎをけずって
海外を走りまわっているあいだ、大国でありながら、
ひとりもくもくと農業にはげむ国がありました。

しかも、貴族や教会の権利はなるべく抑え、ただ
国王にだけ富と権力を集中させる、独特の社会
システムを発達させたのです。

        

 ゴッホ 「収穫」


 力の象徴 ヴェルサイユ宮


 王家の馬車


 ← 下で話題の 「太陽王」。
    狭いところはきらいなので、
    ここでポーズ。

 これは強い!!
そうしてあのルイ14世の時代、ヴェルサイユ宮に、
華やかな宮廷文化が花開きました。



   「朕は国家なり」の彼は、オペラ・バレエの
   大ファン、いえ、熱狂的なマニアでした。

   「王は踊る」 という映画をごらんになった方は、
   「太陽王」 として、文字通り太陽に扮して、踊り
   まくる国王 (↑) をごらんになられたでしょう。

   そうです、フランスは (というか、彼=フランスが)、
   踊るのです。



ルネッサンスも終わりのイタリア・フィレンツェで、古代
ギリシア悲劇の再演からはじまった舞踊劇 「オペラ」、
宮廷のダンスからはじまって、オペラの中で発達した
「バレエ」は、このフランスで、さらに大きく育ちました。


そして、フランスからヨーロッパ各地に伝えられ、そこで
さらに専門化して発展していきます。



   フランスは 踊り (パレエ) の本場となり、音楽でも
   アダン ( バレエの名曲 「ジゼル」 の作曲者で、
   「バレエ音楽の父」 と呼ばれました ) やドリーブ
   (「コッペリア」 などの作曲者で、チャイコフスキー
   から模範と仰がれました ) を生みました。


   イタリアは 歌 (オペラ) の中心地となり、ロッシーニ
   ( 代表作 「セビリアの理髪師」 ) からヴェルディ
   ( 同 「アイーダ」 )、プッチーニ ( 同 「トスカ」 )
   にいたる巨匠たちを育てました。


   ドイツでは 器楽 ( シンフォニー‥‥交響曲は
   オペラ・バレエの序曲から発展したといわれて
   います ) が盛んになって、ベートーヴェンや
   シューベルト、シューマン、ブラームスたちが
   活躍しました。


   ‥‥フランスの「オペラ座」が、オペラよりも
   バレエで有名なわけですね。



さらに、思想文化へ目をうつしても、フランスは、
世界第一級の文学者、哲学者、思想家を輩出する
伝統があります。


コルネイユ、モリエール、ラシーヌ、デカルト、
パスカル、( 王政批判の啓蒙思想ですが、
モンテスキュー、ヴォルテール、ルソー ) ‥‥。



こうしてみてくると、当時としては、それら全ての
芸術・文化の発信源であり、一方では専制君主・
国家の鑑でもあったフランスが、各国の宮廷から、
羨望と賞賛の目で見られたのもうなづけます。



 ルイ14世


 ドガ 「踊り子」 (部分)


 イタリアのヴェルディ


 ドイツのシューベルト


  しかし、まもなく

ヨーロッパは、激動の日々をむかえます。


なかでも、社会矛盾がいちばん大きく、すでに
財政破綻していたフランスでは、大革命から
恐怖政治、ナポレオン戦争、ウィーン体制、
七月革命の王政復古、二月革命の第二共和制
成立と、国全体が絶え間ない激震状態でした。



そして、政治も経済も文化も道徳も宗教も、
すべてを根こそぎにする大嵐が吹き過ぎたあと、
新しい時代がきていたのです。


国王、貴族、教会などかっての支配階級は
すでに富と権力を失い、かわって新興市民層
( 裕福な商人、銀行家や法律家などの
「ブルジョワジー」 ) が力をもつようになって
いました。


そのとき、芸術活動が果たす表面的な 「意味」、
その活動のあり方も、また大きく変わりました。


今まで領主や教会に雇われ、囲い込まれて、
もっぱらその娯楽や典礼だけを担当してきた
職業音楽家たちは、外へ出ることになります。


かれらは、自ら教えたり、演奏会を開いたりして、
自分たちの新しい居場所をつかんでいきました。


その活動の場は、まず豊かな個人のサロンから、
市民のつどうホールへ、街角の店へ、一般家庭
へと、急速に広がっていきました。



そしてそれは、新しい楽器 「 ピアノ 」 が、
ちょうど成長のピークに達しようとする時期でも
あったのです。


 ドラクロワ
 「民衆を導く自由の女神」

 ダヴィッド 
「マラーの死」

ダヴィッド
 「サン・ベルナール峠を
  越えるナポレオン」

 ピアノは「楽器の王様」
と呼ばれ、いたるところで歓迎を受けるように
なります。


その理由は、広いホールでのコンサート、家庭や
カフェでの憩いのひととき、また教会の礼拝、学校
や教室での音楽教育など、いつでも、どこでも、
誰にでも、役に立ったからでした。


演奏のやさしさ ( 弦・管楽器などでは、正確な
音づくりだけでも長い訓練が必要です )、安定した
音色、幅広い音域、音量コントロールの自在さ
などでは、他の楽器の追随をゆるしませんでした。


そして同じ頃、作曲家と演奏者は別々の道を歩く
ようになり、職業的演奏家 「 ピアニスト 」がうまれ
ます。


まもなく、彼らが、音楽に耳を傾けようと集まって
くる一般の人々にむけて弾く催し 「コンサート」が、
日常的に開催されるようになりました。


それを機に、ピアノという楽器の魅力は、さらに
広く知れ渡るようになります。




  「フランツ・ヨーゼフ1世の前で演奏するリスト


  フラゴナール 「レッスン」

 
 作者不詳 「音楽のつどい」


 ホントホルスト 「窓辺の合奏」 
 
‥‥あ、UFOが?

 「ルネッサンス」期のリュート、
「バロック」期のチェンバロ、「ロココ」期のヴァイオリン、

 ‥‥ロココは、バロックの後半から「古典主義」の前半
    に流行した、軽快・優美・繊細な芸術の風潮です。

 と、その時代を代表する、花形( 時代精神を表現する
 のに適した ) 楽器は、つねに存在しました。




 「チェンバロとの合奏」


そして、音楽のベースが宮廷文化から市民文化へ、
担い手が宮廷や教会専属の楽士から市民音楽家へ、
舞台が宮廷からサロンへ、また教会からホールへと
移ったとき、代表的な楽器もやはり変わったのです。



新しい市民社会の中、ロマン主義の栄えたこのとき、
時代の声はピアノでした。


そして19世紀以降は、
「 ピアノ ( とすべての楽器=オーケストラ ) の時代」
となります。


こうしてピアノの需要は急速に増え、ヨーロッパ各地で
本格的な製作が行われるようになりました。



 ギターとリュート


 フォーシエ 
 「リュートを弾く男」

 「ヴァイオリンをもつラモー」


 当時、サロンで活躍した
音楽家のひとりがショパンです。


「 ピアノの詩人 」 とよばれたショパンは、「 ロマン派 」
のヴィルトゥオーソ (巨匠) です。


   すでにドイツの話でも出てきましたが、この時代の
   精神性は、「ロマン主義」と名づけられています。


当時の芸術の傾向は、混沌とした社会の動き、激しい
時代の流れを鋭く反映したもので、まるで、整然とした
古典主義・合理主義的なものの見方に反抗するかの
ように、人間の生の感情や個性を尊び、自然や自由、
無限なものへの憧れにみちていました。


各分野の代表的な作品をあげてみましょう。


物 語  (「グリム童話集」「レ・ミゼラブル」「緋文字」)、
 詩    (「歌の本」「ドン・ジュアンの冒険」「草の葉」)、
絵 画  (「民衆を導く自由の女神」「メデューズ号の
       筏」 )、
歌 曲  (「冬の旅」 「流浪の民」 「夏の夜の夢」)、
交響曲 (「幻想交響曲」 「巨人」 「浄夜」)
オペラ  (「魔弾の射手」 「ニーヴェルングの指輪」)、
バレエ  (「ジゼル」 「海賊」 「白鳥の湖」) など‥‥。


当時、とくに好まれた主題 (テーマ)は、神秘、伝説、
異界、妖精、幻想、古代、闇、深夜の森、月光の湖、
廃墟、孤独、憂鬱、絶望、死、夭折、罪、苦悩、狂乱、
夢想、冒険、英雄、束縛からの解放‥‥。


みなドラマティック、ファンタスティック、エモーショナル
で、平凡な現実や日常の風景からは、遠くもありました
(それでこの後、反動として「写実主義」も出てきます)。


   こうした要素を多分にもつ、シェイクスピアの
   作品が見直され、人気が高まって、さかんに
   リバイバル上演されたのもこの頃です。



 ショパン



 ジェリコ 
 「メデューズ号の筏


 シェイクスピア
 (1564〜1616 )


 ショパン (1810〜49)
畢生の名ピアニストでしたが、とても内気で、短い生涯に
やっと30回ほどしか、演奏会を開きませんでした。



亡くなる前の年、6年ぶりにコンサートをひらきましたが、
会場となったプレイエル・ホールに入ると、大きすぎると
感じて、大変不安になりました。

かれの健康が、もう取り戻せないところまで来ていた
ときのことです。



ショパンのデビューコンサートも手伝った友人、
カミーユ・プレイエルは、ステージに上がるまでの道を、
たくさんの美しい花で飾りました。

ショパンは家にいるつもりになれて落ちつけたので、
最後の演奏会は成功しました。



このときに弾いたピアノは、プレイエルが生涯大切に
したので、今も見ることができます。

フランスの名ピアニスト コルトーも、ショパンをしのんで、
このピアノで同じ曲目を演奏したそうです。


 カミーユ・プレイエル


 ショパンが弾いた最後の
 ピアノ

 歴史の激動によって

今までの社会システムや既成観念が根こそぎになった
あと、人々はきっと、人間の心理の側面、今まで見ない
ようにしてきたところ、あえて光を当ててはこなかった影
の部分にも気づくようになったのでしょう。


しきたりや形式に縛られることなく、人間としての自由で
正直な感情やものの見方を受け入れたとき‥‥、以前
には一律に畏怖や恐怖の対象でしかなかったものにも
新鮮な、一種甘美な魅力があることを発見したのです。

( ときには極端なデカダンスに走る傾向も見うけられた
 ようですが )。


ショパンが生涯にわたって手がけた
「夜想曲 (ノクターン‥‥右手でロマンティックな旋律
 を、左手でアルペッジォの伴奏を弾きます )」 も、
こうした大きな潮流の中の、音楽の分野でのひとつの
あらわれでした。



しかしこの曲は、それまでのピアノでは美しく弾くことが
できません。

ピアノが進化し、ダンパーペダルなどが改良されて、
初めてできるようになった奏法なのです。



 ドラクロワ 「 サンドの前で演奏するショパン


 フロイト 
 ( 1856〜1939 )


  ショパンの楽譜


 ピアノ製作の現場
      フランス プレイエル



 
ヨーロッパ輸入ピアノ専門店 バロック